「愛なんて存在しない」と思っていたら、本当に愛が消え去った話

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今でこそ私は「全てのものは愛」だと確信している。

私に愛を語らせたら、夜通し話せる自信がある。

だけど実を言うと、20代後半くらいまでは「愛なんて存在しない」と信じて生きていたんだ。

愛とはなにか?幼少期の価値観の形成

私にとって両親の不仲がいわゆる“愛”の始まりだった。

仕事にとらわれて家族をかえりみない父親、そんな夫の愚痴ばかり言っている母親。

いつもケンカしていて機嫌の悪い大人たち。

怒鳴り声、無視、冷たい空気――それが日常。

私にとって自分の家は居心地の悪い場所、帰りたくない場所でしかなかった。

そんな両親だって、最初はお互い好きで結婚したはずなんだ。

なのになんで?私の中で、愛は時間とともに減ってしまうものなのだという認識が強くなっていった。

それでも私は恋をした

大学のゼミで出会った同い年の彼は、とってもやさしくて、誠実で、安心できる存在だった。

「この人となら、幸せになれる」本当に大好きだったし、相手も私との結婚を望んでた。

でも、なぜかいつからか感情が動かなくなった。

自分でも驚くほどに、相手と手をつなぐことにさえ、違和感を覚える。

相手は変わらず優しいのに、怖いくらいに私だけが変わってしまったんだ。

何をしても取り戻せなくて。

結局6年も付き合ったのに、彼とはお別れし、虚しさだけが残った。

そして私は、本当に愛がわからなくなった。

優しさを受け取れない

好意を疑う

心のどこかが麻痺したまま

男性に触れられても、なにも感じなかった

その虚しさ、自分の不完全さを埋めるために、いつしか「愛なんてものは最初から存在しなかったんだ」と、信じるようになっていった。

絶望の底で知った愛の正体

さて、愛を信じられないまま、ある時私は友達に誘われるまま、キリスト教の教会へと通うことになった。

光も希望もない心で読んだ聖書の言葉。

いつまでも残るものが三つあります。信仰と希望と愛です。その中で最もすぐれているものは愛です。

この一節に、強い衝撃を受けた。

本当は私だってそう、信じたかったんだ。

愛は尽きるものじゃなく、永遠に残るもの。

永遠に在り続けるもの。

本当は、ずっと誰かに「愛は永遠だよ」って言ってほしかったんだ。

教会にはそれを信じ、そのことを己のライフスタイルで証明しながら生きている同年代の子たちがたくさんいて。

その環境が、私の思い込みを少しずつ確実に変えてくれた。

今の私は特定の宗教を信じているわけじゃないけど、この時期、この環境に出会えたことが、私の愛に対する認識を変え、人生を変えてくれたことは言うまでもない。

愛を信じていなかった頃の“思い込み”たち

愛についての認識を大きく変えた今なら、なぜかつての私の愛が尽きてしまったのかが、完全に理解できる。

愛は時間とともに減るもの

恋愛の熱量が愛のすべて

愛はいつか終わるもの、消えるもの

永遠の愛なんてない

あなたもこういう思い込み、持ってたりしない?

私がこう、信じていたからその通りのことが起こったんだ。

これに気付いたときには本当に驚いた。

お互いの意見や性格が合わないとか、そういうところは大した問題じゃなかったんだ。

現実は自分が信じた通りになる。

だから自分がなにを信じて生きているのかが、本当に重要。

というか、それが全てなんだ。

愛ってどういう存在で、どう取り扱ったらいいのか。

それを心から理解することが人生を左右する。

永遠の愛は、ただ受け取ればよかった。

愛は探すものじゃなく、拒まなければ今すぐ受け取れる。

熱量や感情だけが愛じゃない。

信じなくても、感じなくても、すでに空気みたいに“そこにある”ものだった。

今でも私は、あの日の自分に言いたい――「あなたはずっと、愛だったよ」

私自身の中にこそ、愛はずっとあった。

この記事のタイトル「愛なんて存在しない」と思っていたら、本当に愛が消え去った話、なんだけど、実は消え去ったわけじゃない。

あの頃の私には感じられていなかっただけで。

だから、あなたも信じはじめてみてほしい。

永遠の愛は、もうあなたの中にあるってことをね。

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